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チカちゃんとオテンツルサンとユキノシタ

森川 敏子 (我孫子市・主婦・83歳)

 

  もう七十五年以上も前のことです。日本は戦争中でした。東京は空襲が激しくなり私は山梨に疎開しました。そこでは学校が終わると子どもたちが集まり村はずれのお宮の庭に遊びに行くのが日課でした。その中にチカちゃんという女の子がいました。チカちゃんは個性的で思いやりのある子で学校には行っていませんでした。お宮に行ってもみんなと遊ぶわけでもなく階段に座ってみんなの遊ぶのをにこにこして見ているだけでした。優しい子で誰かが怪我をするとお宮の裏手にあるユキノシタの葉をとって来て揉んで傷に貼ってくれるのです。お宮で子どもたちはこまいぬによじ登ったりお宮の廊下を走り回ったり縁の下にもぐってかくれんぼしたりと好きなことをして遊びました。時々近くの畑のきゅうりやにんじんを黙ってもらいかじったりと小さな悪さもしました。
 夕焼けが近づくと年上の子が「へえけえるぞ(もう帰るぞ)」と声をかけその声を合図に子どもたちはお宮の杉林に行き、お風呂やかまどの焚き付け用の杉の枯れ葉を集めて家に持ち帰るのでした。その日はみんなで戦争ごっこをすることになり、敵味方に分かれてどちらも負けないようにと夢中になっていました。誰かが「早くけえらんとオテンツルサンに連れて行かれるぞ」と叫びました。もう、夕焼けが終わりそうになっていました。みんな大急ぎで杉の枯れ葉を集めると夢中で家に向かって走りました。私もみんなに遅れないように夢中で走りました。オテンツルサンというのは遅くまで外で遊んでいる子を見つけるとモッコに乗せて高い木のてっぺんに連れて行ってしまう怖いお化けだと親たちから聞かされていました。
 暗くなってチカちゃんのお父さんが「チカといっしょじゃなかったけ」と聞いてきました。その時はじめてチカちゃんのことを気にかけていなかったことに気がつきました。チカちゃんはもしかしたらオテンツルサンに連れて行かれたかも知れないと思って声も出ず首を横に振るのがやっとでした。チカちゃんはお宮の階段にポツンと座っていたそうです。きっととても怖かったのでしょう。次の日からチカちゃんは遊びに来なくなりました。なんだか気持ちが重くなり私もそれっきり遊びに行くのをやめてしまいました。
 戦争が終わり東京に帰る日が決まった時、一人でお宮に行ってみました。お宮の庭の欅の木の根元にユキノシタの花が咲いていました。それを見たとき、あの日チカちゃんはやっぱりオテンツルサンに連れて行かれたんだ。でもチカちゃんがみんなの怪我の手当をするので帰して欲しいと頼みオテンツルサンはチカちゃんのやさしさに感動して帰してくれたんだ。そしてチカちゃんが来なくなったのを知ってみんなが怪我をした時すぐ気が付くようにとユキノシタを欅の木の根元に植え替えてくれたんだと、そう思ったのです。八〇歳を幾つか過ぎた今でもチカちゃんとオテンツルサンのやさしさを思いだすと私の心は温かくなるのです。

 

童話作家緒島英二さんより

  日本という国が生きてきた時代を背景に、子どもたちの心の温もりが伝わってきます。チカちゃんと読み手の思いが重なります。

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